山内惠介デビュー25周年の特別番組放送
BS日テレで放送される「歌謡プレミアム特別版」では、デビュー25周年を迎えた山内惠介の感動的な歌手人生が特集されます。この特番では、山内がこれまでの25年間を振り返り、下積み時代や母との心温まるエピソードについて涙ながらに語ります。
山内惠介の華やかなデビュー
2001年にデビューした山内惠介は、17歳という若さで「ぼくはエンカな高校生」というキャッチフレーズで世の中に登場しました。デビュー曲「霧情」は旅立ってしまった恋人を想う女性の心情をつづった作品で、当時はまだ内容を完全に理解できなかったと告白。彼は「正直、もっと明るい曲を歌いたいと思っていました」と語るものの、25年経った今ではこの曲が自身のシンボルとなったことを肯定的に受け止めています。
「霧情」の作詞は伝説の作詞家、星野哲郎先生。山内は「星野先生が亡くした奥様を思い書かれた曲だと後に聞いて、深い意味を感じました。また、今では女性の心を歌う声が自分に合っていると気付かされた」と振り返ります。
苦難の後の成功
デビュー当初は思うようにいかず、キャンペーンをしてもCDが売れない時期が続きました。山内は「お客様は来てくれるけれども、手応えがなく、現実とのギャップを感じることが多くありました」と語ります。この期間は孤独感が強く、上京後1週間の母との思い出を心に抱えながら、彼は母を追いかけるエピソードも明かします。
その後、山内は苦しい時期を経て事務所を移籍。6年間音信不通だった家族と再会したのが祖母の葬儀だったことは、辛い記憶として残っています。しかし、母の「あなたが歌を歌う時が一番幸せな顔をしている」という言葉に救われ、再び歌手としての道を進む決意をします。
初めてのヒット曲と紅白出場
13年を経て、初めてのヒット曲として「恋の手本」が誕生。この曲が彼にとっての転機となり、そこから紅白歌合戦への初出場へとつながることになりました。初めて憧れの舞台でこの曲を歌った際、山内は感謝の気持ちで涙が止まらなかったというエピソードも大変感動的です。彼は、その瞬間を振り返り「母に電話したとき、言葉が詰まり、『もしもし』だけしか言えなかった」と振り返ります。
紅白出場を続ける中での思い出は、同じ高校出身の椎名林檎との共演です。彼は「林檎さんに曲を書いてもらえたらと思ってお願いしたら、快く承諾していただいた。その日が待ち遠しい」と期待に胸を膨らませています。
故郷への愛と絆
番組では、故郷・糸島のグルメ紹介や、村田英雄のヒット曲「無法松の一生」などのカバーも披露します。また、コンサートでの姿やファンへの思いも語られ、山内惠介が歌手としての活動をどのように位置づけているのかがわかる内容となっています。
この特番「山内惠介25年全史」は、彼の壮大な物語と人間関係、そして母との深い絆を感じることができる貴重な機会となっています。放送は4月23日(水)夜8時から、BS日テレで放送。この感動的な内容は見逃せません!